けんてぃー大学

20代の国立大学職員による仕事のことその他関心があることの書き散らかしブログ

大学の「会議」は無駄だらけ

こんにちは、けんてぃーです。

 

さて、昨今、生産性の低い会議が問題視されているのは周知のとおりです。

働き方改革」の一環として、会議の無駄を減らそうというのはどの企業でも共通していることですね。

大学は、その中でも無駄な会議がてんこ盛りです。会議の無駄さに悩んでいる民間企業の人にもビックリされる、無駄の巣窟です。

大学における会議がどういうものかについて、書いていきます。

 

 

1.大学の会議の種類

 さて、大学の会議として特徴的なものは、主に以下のような種類があります。

 

1.役員、理事中心の経営に関する会議 

2.教授(教授以外の教員も参加するものもある)による教授会

3.担当教員による教務委員会や入試委員会、広報委員会などの各種委員会

 

これらが、基本的に定例で毎月実施されます。その他にも、非常に多くの細かい会議があります。

同じような内容の会議が、全学的に、学部別に、学科別にそれぞれ実施されることが多いです。

 

2.会議における多大なる無駄

会議の目的が曖昧すぎる

多くの大学では、会議が責任のある意思決定を行う場として、まるで機能していません。

いわゆる「議論」のための会議ばかりになってしまっています。

ほとんどの会議において、各組織の代表者が意見を出し、そこでの話を組織に持ち帰ってまた議論が続く、ということの繰り返しです。

会議の議事録では、「◯◯という意見があった。各組織において再度検討することとした。」のようなものばかりです。 「◯◯することとなった。」というものは、全体の審議事項からするとかなり少数です。

 

「結論を出す」という意識が弱く、時間も区切らないため、会議はだらだらと長ったらしくなります。何も決まらず、時間ばかり過ぎていくのです。

 

事務職員の「陪席」

ほとんどの会議において、その構成員は教員ばかりで、事務職員は「陪席」という形です。議題に対する発言権は無く、会議中には、職員でないと分からないことを聞かれた際の対応くらいしかできることはありません。

例えば広報委員会では、日常業務として広報を担当している、広報のベテラン職員でも何の権限もありません。

広報に対してまるで素人の教員、嫌々命じられたやる気のない教員たちによって、だらだらと会議が進むのです。

それを裏方として事前の準備でコントロールするのが事務職員の仕事、みたいな風潮がありますが、そもそも構成員の1人としてコントロールすればいいだけの話でしょう。その分参加する教員を少なくしたら、全体の会議業務負担を軽減できますしね。

 

陪席人数も問題で、例えば教員7名で構成される広報委員会に対し、陪席は広報課の課長・副課長・担当係長・係員の4名といったフルメンバーだったりします。発言権が無いのに、構成員の人数に対して果たしてこれほどの人数が必要でしょうか?

 

3.なぜ会議が減らないか?

まずは、集団による合意形成を重んじる意識が高いことが原因ですね。

「みんなで話し合って、みんなで決めることが何より大切」という、全員参加的な民主主義マンセーの考えの役員や教員が多いんですよね、大学は。そしてその方法として、面と向かっての「会議」以外は不適切だという考えです。これが長きに渡る風潮として大学に蔓延しています。

結果として、何を決めるにも、何を話すにも、多くの教員が参加しての会議が必要だ、となり、会議の数も参加人数も減らないのです。

※何も決まらなくても、皆で話し合ったという事で仕事をした気になっている様子なのがタチが悪いです。。

 

そして、教員と事務職員の主従関係もその一因ですね。

前述の、「みんなで話し合って、みんなで決める」の「みんな」には、教員以外の職員は含まれていません。「陪席」しか許されてないわけですからね。

そのため、陪席によって会議に時間を取られる人数が無駄に増えてしまいますし、職員が会議の無駄の改善を口出しするのも簡単ではありません。

これは、「事務職員なんかに大学のことを決めさせてたまるか!」という考えの教員も原因なら、そもそも「判断は教員がお願いします。我々はあくまで事務ですから。。」と、責任から逃げようとする職員の側にも原因はありますね。

 

4.おわりに

大学は無駄な会議ばかりですが、昨今の厳しい経営状態の中、問題意識はあります。

弊校でもつい先日、学内のいわゆるお偉いさん達の会議で「会議を減らそう」という議題がありました。

しかし、その会議で、「会議を減らしたら、会議運営事務のノウハウを持つ職員が減ってしまう」との反対意見があったようです。

まさしく本質を外れた意見の典型ですね。

業務量が減れば、そのノウハウが必要な人数も減るので、そこに割くリソースを減らすのは当然でしょう。代わりとなる効率的な手段があれば、その手段に対してリソースを割くべきなのは言うまでも無い事だと思うのですが。。

 

出てくるのはこんなレベルの意見で、しかも反対意見があるからと、お得意の「検討を要する」という結論になったのを見る限り、やはり無駄だらけと言う他ありませんね。

 

会議を減らすための会議において、図らずも会議の無駄さが浮き彫りになったのは、果たして良いことなのか悪いことなのか。。。

 

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