名言2.0 〜毎日を人生最後の日であるかのように生きるべきか?〜
こんにちは、けんてぃーです。
生き方に関する名言として、
「毎日が人生最後の日であっても、後悔しないような生き方をしろ」
といったものがありますね。
誰もが一度は聞いたことがある決まり文句です。
成功者が、実体験を踏まえてよくこういう事を言っていますね。
私も内容には同意します。
しかし、こうした言葉に反対する人は多いです。
その理由としては、
「その日が人生最後である確率は極めて低い。長い人生になる事を考えると、やりたくない事でも我慢する必要はある」
といったものがよく挙げられます。
これはこれで筋が通っているように聞こえますね。
さて、私の解釈ですが、この名言の本質は、
時間=命である。
自分の命を大切にするために、やりたくない事は切り捨てるべき。
でしょう。
しかし、「人生最後の日」という点でそもそも 現実的ではない と、その意味をじっくりと考えずに反対される場合が多いです。気持ちはよく分かります。
ただ、考察力を鍛える機会とそれによる気づきを逃しているという点で、これは非常にもったいない事ですね。
そこで、真逆に考えて、言い方を変えてみてはどうでしょうか?
「その毎日が永遠に続くものであっても、後悔しない生き方をしろ」
上記のような言い方をすれば、今すぐ死ぬわけじゃないから〜 といった、本質から外れた反対意見は減るでしょう。
いや永遠に続くわけないじゃん笑 という意見は勿論あるでしょうが、「人生の継続」という点で、前者よりはかなりリアリティを持ちやすいでしょう。
そしてこの言い方であっても、伝えたい本質は変わりません。
まず、自分が過ごすその日、その時間が後の人生になると考えると、時間=命と言えますね。
そして、永遠に続くようであれば、その過ごし方としてやりたくない事をしたり、関わりたくない人たちと関わることはひたすらに苦痛でしょう。
つまり、 やりたくないことは切り捨てるべき ということです。
さらにこの言い方のプラス面としては、
永遠に続くならばこそ、関わる人や社会と良好な関係が継続できるように努めるべき。
という意味が含まれる事です。
前者の言い方では、人間関係を始め、全て切り捨てても問題ないという捉え方もできてしまいます。一歩間違えたら、犯罪を犯しても問題ないと捉えられる可能性もありますね。
それに対して後者の言い方では、毎日会っても嫌じゃないような親しい人間との関係は大切にするべき、というメッセージを込めることができるのです。
この点については私は後者の方が意義深いと思いますし、そういう言い方をする事で多くの人が心理的に受け入れやすくなり、その本質を考えることに繋がるでしょう。
以上、名言のアップデート案でした。