けんてぃー大学

20代の国立大学職員による仕事のことその他関心があることの書き散らかしブログ

「伝統」は守るべきものか?

こんにちは、けんてぃーです。
 
世の中どこでも、「これは昔から続くうちの伝統だから」、「伝統だから残さなければいけない」といった話は多いですね。
 
しかし、そもそもなぜ伝統は守らなければならないのでしょうか?
 
私は、意図的な保護により残された、形式的に続いているだけの「伝統」には大した価値はないと考えます
そして、そうして残された「伝統」が人々を苦しめる「悪習」に成り得るのでしょう。
 
もちろん、伝統の保護の全てを否定するわけではありません。
意図的に保護して守ることも時に必要となりますし、それが将来的に価値を生み出す・増幅する可能性があることは事実です。
 
しかし、「伝統」の本質的価値とは、時代の流れの中で淘汰されずに生き残っていることにあると思うんですよ。
生き残るために不要なものは削ぎ落とされ、時には必要となる進化を遂げることで、核となる要素は洗練されていきます。
そうして洗練され、時代の波を乗り越えて受け入れられているものは素晴らしいものです。
 
つまり、「伝統」だから保護して残すことが重要なのではなく、保護しなくても残っていることが重要で、それこそが「伝統」の価値と言えるのではないでしょうか。
 
一つのたとえとして、ダイアモンドを挙げます。
ダイアには大きな価値があると認識されていますが、その原石自体は大した価値はないとされていますね。
原石から不要な部分が削られ、磨き上げられて、価値のあるダイアになっていきます。
そして、高品質のダイアであっても、それに不適切な加工が施されればその価値は大きく下がることになります。
また、ダイアの価値の大きな要因として、その希少価値も挙げられますね。
 
さて、上記で言うところの、「無駄を削ぎ落とされた、希少性が高いダイアモンド」の価値こそが、まさしく「伝統」の価値と言えるでしょう。
 
そう考えると、長く続いている伝統だからといってただ闇雲に守ろうとすることは、伝統の価値を大きく損なうことになります。
それは伝統全般に対して、伝統が伝統である価値の源泉とも言える「希少性」を損なうことになりますし、「不適切な加工」となり、「不要な部分が削られずに残ってしまう」ことになるからです。
 
「伝統」に価値を感じるのであればこそ、「伝統」と言われるもの一つ一つに対して意図的な保護は極力せずに、時代に応じた然るべき淘汰を続けるべきではないでしょうか。