けんてぃー大学

20代の国立大学職員による仕事のことその他関心があることの書き散らかしブログ

大学という「教員のレジャーランド」

大学教員の実態について、下のような記事がありました。

大学教員のサボリ横行に「毎日来るように」と学長の通達例も│NEWSポストセブン

「大学のレジャーランド化」とは学生が勉強せず遊びやアルバイトに明け暮れる姿を揶揄した、30年以上前からある表現だ。
 だが、「むしろ大学は教員のレジャーランドである」

実際に大学で働く私からしても、まさに「大学は教員のレジャーランド」であると思います。

まさに、教員にとってのユニバです。大学(university)だけに。

この記事を見ていきながらその実態に迫ります。

 

 

1.研究しない研究者

「日本の大学は世間の持つイメージとは違ってぬるま湯に浸かりきっています。まず『研究しない研究者』が少なくない。ある有名私立大学の文系学部では、生涯に2本しか論文を書いていない教授が複数います。助手・助教から准教授に昇進する時に1本、教授になる時に1本論文を書いているだけ。

 自然科学系では生涯に300本以上、文科系でも150本の論文を発表する研究者もいますから、論文2本の教授などおかしいはずですが、残念ながら特に文系学部では決して珍しい存在ではありません」

 いやもうまさに!ほんとに珍しくないんです、研究しない教員。

この他にも、少ないながらに筆頭著者として発表している論文が、自分で研究したわけではなく学生その他研究室のメンバー達の研究結果をまとめただけのもの、ということもあります。

 

大学教員は、テニュア(終身雇用)教員の身分を手にいれるまでは不安定でとても大変です。これは、以下のリンクが参考になります。

一度なってしまうと抜け出せない?! 今も深刻な「ポスドク問題」|転職Hacks

博士にまでなったのに、なぜ報われないのか | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

しかし、いざなってしまえばこっちのものと言わんばかりに、研究を全然しなくなる人がいるのです。最初はやる気があっても、途中で燃え尽きたように研究への情熱が無くなる人も少なくありません。

 

2.教育しない教育者

「一般的な私立大学の場合、教授に最低限のものとして課せられる授業数は平均して1週間に5コマです。1コマ90分ですから450分。それ以外の時間に何をしているかは大学側は把握しきれない。講義のない日に学生が研究室を訪ねても教授が不在ということは少なくありませんが、これは『自宅研修』という制度が認められているから。大学教員は自宅で書籍や論文を読むといっておけば、大学に来なくてもいい。監視の目のないところで好きなことができるのです。
 
 ある地方の市立大学の教授から聞いた話では、医学部出身の学長が自宅研修の多さに業を煮やして『教員は毎日大学に来るように』と通達を出したことがあるそうです。

これもあるあるですね。全然大学に来ない教員。います。

そもそも、教育に熱心な教員は多くはありません。研究に熱心な教員より、遥かに少ないです。テニュア(終身雇用)教員の選考で審査・評価されるのは研究実績ですし、大学教員は昇進や所属学会などの評価において、教育実績はほぼ関係なく、研究実績の方が重視されるためです。

教育がダメな教員は、授業を半分ほどの時間で切り上げたり(職務放棄)、試験は教科書(自著の本を強制購入)持ち込み可でほぼ100点だったり、過去問が手に入れば100点(同じ内容)だったりします。授業もボソボソとメリハリなく、独り言を延々としているかのようで、面白さの欠片も無いような授業をする教員も多いです。

そりゃー学生も真面目に授業受けませんよね、授業はつまらなくて、聞かずに単位取れちゃうんですから。

 

3.学務(大学運営)をしない教員様

これは上記の記事にはない、大学職員という立場からの意見です。

大学教員の仕事は、上記の研究・教育だけではありません。所属する組織(大学、キャンパス、学部等)の運営に関する仕事もあります。イベント・行事の企画運営や、学内委員会等の組織運営もあります。それに伴い、各種個人間の調整や書類作成があります。事務職員がすべき業務もありますが、教員がすべき業務も当然あります。

しかし、これを極力やらない、事務職員に押し付けてくる教員がいます。職員としてはこつ然とした態度で「それはあなたがやるべき業務です」と言うべきです。 しかし、大学に流れる 教員様>職員 という空気感の中、それが難しい面はあります。ちなみに過去に私はそれを言ったら、謎に上司に注意されました(^_^;)

その後、そういった場面になったときに、上司にそれを言っていいかを確認すると、大体渋い顔をされます。

そんな風潮が変わらない限り、教員の増長は止まりませんね。

 

4.おわりに

せめて上記の3つの仕事のどれか一つでも熱心にしていれば良いのですが、どれ1つ熱心にしない教員が珍しくないというのが悲しいところです。

そして、仕事をしないぶん暇なので、本質から外れた細かいことの指摘に熱を入れたり、くだらない派閥作りで政争することに力を入れ始めるのです。

大学への貢献が給与に反映されないため、そのような教員であっても高給取りであり、解雇したくても、身分保障が強いため解雇できないといった悲しい状況です。

もちろん大学には尊敬に値する教員もいます。その人たちが、こういった人たちのせいで足を引っ張られるのが残念でなりません。

「教員のレジャーランド」が解体される日は来るのでしょうか。

オープンキャンパスは必要か?

どの大学でも実施しているオープンキャンパス。大学進学者のうち、オープンキャンパスに行ったことがある人の割合は90パーセント弱と言われています。

教職員や在学生スタッフは、その準備や実施に駆り出され、忙しく働いています。

さて、このオープンキャンパスは果たしてどの程度有意義なのでしょうか?
来場者側と大学側の視点から考えてみます。

 

 

1.来場者の目的は?

来場者は何を目的にオープンキャンパスに行くのでしょうか?よく言われる目的・メリットとしては、以下のようなものがあります。

・立地や周辺の環境、設備を確認できる。
・キャンパスの雰囲気、先輩や先生の雰囲気が分かる。
・体験授業が受けられる。
・モチベーションアップ。
・大学情報を得ることができ、質問や相談もできる。
・面接等でのアピールポイントになる。

これらについて、私の意見を書いていきます。

 

・立地や設備、周辺の環境を確認できる。
オープンキャンパスとして行く必要性はない。
普通の日に見学に行って問題はありません。オープンキャンパスの日のみ大学関係者以外が使える設備の確認であれば話は別ですが、それはそう多くはないでしょう。

・キャンパスの雰囲気、先輩や先生の雰囲気が分かる。
一番分からないのがオープンキャンパス
まず、夏休みに開催することが多いため、肝心の日常風景を見ることができません。そして、キャンパス内は溢れかえった高校生ばかりです。
また、当然ながら大学は「良いところ」を見せようとします。悪いところは見せません。
参加する在学生についても、オープンキャンパスに協力し、盛り上げようとしてくれる、「意欲と行動力がある優秀な学生」が多いです。紹介されるような在学生については、「特に優秀な一握りの学生」でしょう。平均的な在学生の姿ではありません。

先生も、表立って来場者に応対するのは「先生の中でも好印象を与える人」である確率が高いです。
大学の本当の雰囲気を味わいたいなら、普段の日に大学に見学に行くのが一番良いのです。

・体験授業が受けられる。
→ウケの良い内容を、「学内トップレベルで授業評価が良い、一握りの先生」が行う授業、という意識で体験するのなら良い。
大学は当然良いところを見せようとしますからね。それが平均的な授業レベルと思ってはいけません。

・モチベーションアップ。
上記のことを踏まえた上で、モチベーションが高まれば良い。

飾られた情報を基にして、必要以上に高いイメージで入学した際には、失望する可能性があります。

・大学情報を得ることができ、質問や相談もできる。
オープンキャンパス以外にも選択肢は多い。
インターネットを使えば大体の情報は手に入ります。高校の先生や大学に入った先輩等がいれば、そこから情報を得ることもできます。大学にメール等で問い合わせても良いです。
在学生に直接相談したいことがある、という場合には有意義でしょう。

・面接等でのアピールポイントになる。
これは否めない。
オープンキャンパスに来たか来てないかを、入学意欲の判断基準の一つとする面接員がいる可能性はあります。不参加が不利に働くケースがあるのは否めないでしょう。

 

2.大学側の目的は?


次に、大学側から考察します。


オープンキャンパスの一番の目的は、「志願者数の増加」であるべきだと私は思います。
志願者の多さは大学のステータスになりますし、入試は大きな収入源の一つです。試験が高倍率になったほうが入学者のレベルは当然高くなりますしね。
この「志願者の増加」という観点から考えて、オープンキャンパスで大学の良いところ、優れた環境ばかり見せるのは合理的と言えます。

 

ただ、ゲームやスタンプラリーの実施などでお祭り状態と化しているオープンキャンパスで、無料の食事や交通費・宿泊費負担もするようなものには、私は反対です。来場者の増加には繋がるのでしょうが、それが志願者の増加にどれだけ繋がるかは疑問だからです。
受験先を考える時はみんな真剣です。受験機会の少ない国公立大は特にそうでしょう。

「気軽な気持ちで参加したオープンキャンパスで楽しめた」から志願するのではなく、「関心のある大学のオープンキャンパスで、入学する価値を見出せた」から志願するのです。
もちろん来場者数自体が増えれば、志願者の絶対数が増える可能性は高いでしょう。しかし、実施に必要なコストを考えると、コスパが悪いように感じます。

 

3.まとめ


私は、オープンキャンパスに行く必要性が高い人は、そう多くはないと思います。
目的としているものが、オープンキャンパスに行かないと得られないものか?他に適切な手段はないか?を考えることは重要でしょう。
大学側としては、オープンキャンパスの目的を明確にし、その目的を満たすために必要なものを、コストと天秤にかけて実施する意識を持つことが重要だと考えます。

 

山形大学のHPを見て思ったこと 〜COC+(地方創生)事業概要〜

こんにちは、けんてぃーです。

今日は山形大学のHPを見ていて思うことがあったので、書いていきます。

 

 

COC+とは?

まず、COC+という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

COC+とは、ざっくりと言うと、「文科省の支援のもと、地方の大学が地方公共団体・企業などと協力し地方創生を目指す事業」です。

多くの地方でこぞってこの事業を実施しており、各大学は地方創生の一翼を担おうと頑張っています。

COC+の詳細は千葉大学の図と説明が簡潔で良いと思ったので、詳細が知りたい方は下のリンクをご参照ください。

COC+とは | COC+

 

山形大学COC+の事業概要

COC+実施大学のひとつの山形大学の事業概要図(COC+事業:事業概要図|山形大学COC・COC+推進室)をHPで見て、思うことがありました。

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けんてぃーが気になったのは上の図の青枠の「山形県の特徴」部分です。

(この部分から下の事業概要はどこの大学のCOC+を見ても同じようなことばかりです。)

 

「3世帯同居率」が1位で、家族全員働きやすく、「社長輩出率」が2位で、事業継続・起業しやすい。 (山形で働くことのプラス面)

しかし、

人口減少率はワースト5 位、高齢化率もワースト5 位で、若年層が県外流出し、少子高齢化が進んでいる。

とのことです。

 

この表現に疑問が残ります。

 

3世帯同居率が高い=働きやすい?

まず、3世帯同居率が高いから家族で働きやすい、とあります。たしかに子供が生まれても、介護が必要になっても、家族で支えながら働きやすい面はあるでしょう。

しかし、3世帯同居でないと生活が苦しい、とも言えます。

調べてみると、下のリンクの記事にも書いてありますが、3世帯同居率は農業が盛んで人口がまばらな地方で高いと言えます。また、共働き世帯率も高い傾向にあります。

三世代世帯人数 [ 2015年第一位 山形県 ]|都道府県別統計とランキングで見る県民性 [とどラン]

これは、田舎で収入が少なく、共働きかつ3世帯同居でないと生活が苦しい環境であることを意味していると私は捉えます。

 

社長輩出率が高い=事業がしやすい?

次に、社長輩出率が高く、事業継続・起業しやすいとありますが、これもどうでしょう?まずここでいう社長輩出率とは、「その県の人口に占める社長の割合」を意味するようです。

社長の出身地ランキング、ワースト1位は鳥取県?なぜ社長「輩出率」1位は徳島県? | ビジネスジャーナル

 

上の記事でランキングと所見が見れますが、山形県は老舗が多いことがまず要因とあります。事業を長く継続させていて、経営者としてビジネス経験を積んで人が多いことは素晴らしい事だと思います。

しかし、老舗が多いため順位が高いのであって、起業がしやすい環境というのは適切ではないと感じます。

老舗が多いのも、新しく大きい産業が参入しない、ビジネスとして魅力の乏しい環境のため、何とか昔からの事業が続けられており、他の産業には雇用先が少ないと捉えることもできますね。

 

まとめ

以上のことから、3世帯同居率と社長輩出率の高く、働きやすい環境という表現は、適切ではないと思います。

「農業人口が多く、主流な産業構造の変化の波に乗れず、多くの人を雇える体力のある企業が進出してこない状況にある。そのため、小さい事業で、共働きをしながら生活している人が多い環境」を意味していると捉えています。

その結果として、若年層の県外流出が続き、少子高齢化が進んでいるということです。 

 

なので、事業概要としては、

山形県では若年層の流出が止まらず、少子高齢化が進んでいる。この一因として、〜(前述の内容)〜が挙げられる。その結果として、3世帯同居率と社長輩出率が高くなっている。しかしこれは、サラリーマンでは得ることができない経営者としての実体験を持つ人が多く、経営者の考えや行動を身近に、当事者意識を持って学ぶことができるというメリットでもある。つまり、山形県は他県より経営者的ビジネス感覚を持った人材が育ちやすい下地があると言えるため、それを活かして~(以下それに合った事業計画)〜」

上記のような表現であるべきだと私は考えます。

 

※深く調べたわけではなく、これが100%正しい情報ではないでしょう。詳しい方がいらっしゃればご教授いただけると幸いです。

「世界大学ランキング2018日本版」に思うこと

2018年3月末に、「THE世界大学ランキング日本版2018」が発表されました。

THE世界大学ランキング 日本版|日本の大学の教育力ランキング

「THE世界大学ランキング 日本版2018」発表|株式会社ベネッセホールディングスのプレスリリース

 

これは、英国の教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」(THE)がベネッセをパートナーとして、調査・作成したものです。

京都大学東京大学が同率一位になっています。

 

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(50位までの順位:プレスリリースより)

 

世界版と日本版とがあるのですが、日本版では以下の4項目に基づいた評価がなされています。

1.教育リソース

2.教育充実度

3.教育成果

4.国際性

 

弊校は、私の想像より上位に位置していました笑

このランキングについて、所見を書いていきます。

 

 

1.世界版にも目を向けると

そもそもこの「日本版」は昨年の2017年より始まったものです。

これは、日本版でないものは毎年ずっと公表されていましたが、それが日本の大学の国内における評価項目としては望ましくないとの声が大きかったからでしょう。

世界版(World University Rankings 2018 | Times Higher Education (THE))では、以下の項目による評価がされております。

1.教育力

2.研究力

3.論文引用数

4.産業界からの収入

5.国際性

 

日本の大学はこのランキングでは東大が46位(前年39位)、京大が76位(前年91位)です。上位200位以内に入ったのは国内でわずかこの2校のみという悲しい結果です。

年々日本の大学は低下傾向にあり、それは日本の大学の伸びより遥かに早く他国(特にアジア)が伸びているからです。アジアでは東大が8位となっております。現在アジアトップを争っているのはシンガポール国立大学清華大学北京大学であり、日本はアジアトップ争いから大きく水をあけられてしまっているのが実状です。

 

なお、このランキングには下のリンクの記事のように、論文の引用数や外国人教員比率など、言語的な問題から日本の大学は不利だとの意見あります。イギリスの調査会社によるイギリス優遇ランキングだ、との意見も強いです。

世界大学ランキング、日本勢が振るわないのはナゼ?|ベネッセ教育情報サイト

大学の世界ランキングに意味はあるのか? | 山内康一

 

2.世界版との評価基準の違いから思うこと

さて、日本版と世界版の項目の違いとしては、

1.研究力

2.論文引用数

3.産業界からの収入

 

が世界版から除外され、教育力が重視されていると言えます。

日本の大学が教育を重視しており、国内世論としてもそのように見られているからでしょう。

 

ただ、個人的にはここで研究力が評価から除外されるのはいかがなものかと思います。

大学は教育機関だけでなく研究機関の役割も当然あります。そして教育機関としての日本の大学の現状は皆さんご存知のとおりです。

もちろん全てが全てではありませんが、遊び放けていても卒業できる、むしろ遊ぶのが大学生の本分だとでも言わんばかりの状況ですよね。

そして、大学でないと勉強できない、といった事もどんどん少なくなっています。

今の時代、既存の大学教育で得られる知識はほとんどが本やネットで得ることができます。もちろん大学で学ぶという事に「大卒・新卒カード」を得ること以外に意味がないとは言いませんが、4年間という時間とお金に対しての生産性は極端に低い(ところが多い)と思われます。

 

その中で、研究については、設備の充実、研究分野の権威たる教員の存在、有意義な資料の存在と、学生が大学に在籍することのメリットが多いと思われます。その分野における最先端を調べ、未知のものに挑戦する中でリサーチ力や仮説検証のノウハウを学べます。そして、論文にまとめる中で文章力や構成力を鍛えることになります。

大学でないとできない事、とも言えるこの研究を軽視することは個人的には有り得ない事です。

 

「産業界からの収入」が除外(≒軽視)されるということも、大学を持続可能にするために、ビジネスとして捉える感覚が低いように思われ、気になるところです。年々文部科学省からの国立大学の運営費交付金が減らされ、少子化による経営難が避けられないと見込まれる中で、この意識は非常に重要です。

 

企業との共同研究や受託研究を漕ぎ着け、外部資金を獲得していき、国税に頼りきっている大学・研究室の運営資金のバランスの健全化に取り組もう。そのために産業界(企業)が何をしたいか、求めているかを考え、提案していこうという、営業の当たり前の意識がある教員が果たしてどれだけいるのでしょうか。そういった意識付けを教員に浸透させ、研究資源の把握と管理、その活用の舵取りをしようという意識のある大学がどれだけあるのでしょうか。。

 

3.4つの基準と測定方法に思うこと

日本版ランキングの4つの基準について細かく見ていきましょう。

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上の表のような項目の測定方法となっているようです。

この中で私が違和感を感じるのが、「教育充実度」の算出が「高校教員の評判」という事です。

高校教員がどれだけ大学教育の実態を把握できているかは疑問です。特に、「入学後の能力伸長」を、高校教員が卒業生に対してどうやって把握に努めているのでしょうか。。

「教育成果」の項目算出で、「企業人事の評判調査」というのも個人的には違和感があります。企業の人事担当者たる人が果たしてどれだけ人物評価の能力があるかは疑問ですし、企業の組織の一員として高く評価される事が教育成果というのは、うーん、どうだろう、と思ってしまいます。

個人で活躍する人も当然いますし、そういう時代になりつつあります。人事担当者というよりは、何かしらの結果を出した人物の出身大学での評価ができればそれが良いように思います。

 

4.おわりに

以上、大学ランキングとその評価基準について取り上げてみました。

大学ランキングの意義や在り方は諸説ありますが、何かしらの評価基準をもってランキングする、というのは参考にするうえで必要なことでしょう。

しかし、研究成果や論文数などの客観的な基準を軽視され、評判や印象などという曖昧な主観的基準が重視される日本版ランキングは釈然としないものがありますね。

大学の再編と統合の時代

近年、大学再編の必要性が叫ばれています。

少子化による影響等で経営環境が厳しくなる中、このままでは大学運営が行き詰まるのは自明だからです。

大学の統廃合による再編が検討されるのは当然で、下の記事のように名古屋大学岐阜大学の統合再編のニュースもでてきました。ここ数カ月で特に動きが活発になってきたように感じますので、取り上げてみます。

名大・岐阜大「統合」で動き出した再編の歯車 | 学校・受験 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

 

1.再編の方向性と新制度案

まず、現在の国立大学は、独立行政法人化に伴う国立大学法人制度の下、1法人が1国立大学を運営する仕組みになっています。

 

そして、直近の3月に文科省から、地域の大学が設置形態の枠を超えて参加する新たな法人制度の案を公表されました。

大学分科会(第140回)・将来構想部会(第9期~)(第14回)合同会議 配付資料:文部科学省

 

その中で、

国立大学の一法人複数大学制の導入

私立大学の学部単位等での事業譲渡
国公私の設置主体の枠を超えた統合

上記のような改革案が示されています。名古屋大学岐阜大学経営統合では、実現されるとしたら文科省の資料の中の下の図のようになるのでしょう。

 

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アンブレラ方式といわれるこの「一法人が複数大学を運営」という形は、現状の法制度の改正に着手しなければなりません。

法改正が実現し改革が進めば、名古屋大学岐阜大学の名称はそのままで、運営する法人のみを統合することになります。

そして、一つ前例ができると、一気に統合の波が押し寄せることになると予想されます。

2.経営面におけるメリット

経営面では、上の図にも記載されているとおり、統合によるスケールメリットが挙げられるでしょう。教職員を含む教育・研究資源を共有することにより、それぞれの大学が運営を効率化する効果はあると思われます。

ただ、分校扱いにして(例:名古屋大学岐阜校)大学の数が減るということではないので、教職員数や役員数はほとんど減らないでしょう。こういったところを減らせるとスリム化でき、効率的だと思いますけどね。

 

また、経営統合することは、将来潰れるであろう大学の雇用のセーフティネットの役割も兼ねているのでしょう。大規模な人員削減は健全経営のためには避けて通れないものだと思うんですけどね。大学にろくに貢献しない教職員がどれだけいることでしょう。

 

3.教職員・学生への影響

いざ再編が進んだら、教職員は今までとは別の地域に赴任することはあるでしょう。特定の大学のポストが減り、その分を別の大学でポストを用意するというのは当然あるでしょうし、学部の統廃合等が起きる場合は分かりやすい例ですね。そして、いわゆる大学間の派閥争いというのはありそうですね。。

学生としては、学部統廃合が起こった場合の地元での進学の選択肢が少なくなるといった影響が予想されます。そうならないように今までは1大学1法人で、各都道府県に1つ以上となっていた面がありますからね。

 

4.終わりに

以上、大学再編の議論が一気に加速しており、統廃合は時間の問題でしょう。

私は大学は一度潰れまくらないと良くならないと思います。大学を潰さないように進めるこの改革では生温いと感じています。

そして、そうなった時に備えて別の収入源の確保にも取り組んでいます。転職も選択肢にあります。解雇はそうそうないと思いますが、待遇の悪化は考えられますし、何が起こるか分からない世の中ですからね。

大学職員はホワイトか? ~大学職員の理想と現実~

こんにちは、けんてぃーです。

 

あなたは大学職員の仕事にホワイトという印象をお持ちでしょうか?

私が学生との時は「超絶ホワイト」という印象でした。

実際に働いてみての、その実態をご紹介します。

 

今日のお題目

 

楽か?激務か?

結論から言うと、【全体的には楽だが、部署による】ということになります。

弊校だけでなく他校でも、聞く限りは部署間の偏りが大きいです。

 

例えば私は、最初の配属はいわゆる激務部署でした。

繁忙期は大体22時頃業務終了で、夜の12時を回ることも普通にありましたし、基本的に定時内に業務を終了するのは非常に困難でした。業務ストレスも多く白髪が増えました。

仕事に行くのが嫌で嫌で仕方がなかったです。

ほかの部署のまったりさと比べると、不公平感で心中穏やかではなくなっていました。

 

次に配属された部署は、平均程度の忙しさのところでした。

定時までにやるべき仕事が終わっているのは当然で、繁忙期は20時程度まで残業といったところでした。業務ストレスも大きくありません。

楽とは言われず、むしろ大変な部署と言われますが、前の部署とのギャップで、なんだここは!天国じゃないか!と感じました。

 

このように、全体的には楽な中で、激務部署に行くこともある。といった感じです。

なお、激務部署でも余裕をもって仕事をこなしていると、激務部署を連続で配属となる確率があがるので要注意です、、

 

忙しさ以外に業務ストレスとして大学で特徴的なものは、無駄な業務が多かったり、作業手順が整理されてないという点、そして、変人かつ横柄な態度の教員への対応でしょうか。

とはいえ、定型の仕事が多く、待遇の悪化に直結するようなプレッシャーやノルマはありませんので、平均的な民間企業よりはよっぽど楽でしょう。

 

残業代は?

残業代は基準以内であれば基本的にはちゃんと支給されます、、が、配属先の上司によっては残業申請を牽制してくる可能性があります。

激務部署に配属になれば、残業代は多く貰えるので、収入はあがります。

中には残業代が欲しくてだらだら残業してるだろう人もいます。

そういうのは見ていて気持ちいいものではありませんが、まあ自分は経営者じゃないしあまり気にしないでおこうってスタンスです。上司のマネジメント力の問題と、それができる環境、それをしないことのインセンティブが弱いって話ですね。

見方次第では、だらだら残業さんは 給料を上げる≒自分の価値を高める努力をしている とも捉えられるかなと。。

定時で帰るなんてやる気ない奴だ、みたいな考えの人も上の世代には多いですしね。。

 

話は逸れましたが、サービス残業が常態化してはいないですし、平均的な民間企業よりはずっとホワイトでしょう。

 

有給休暇は?

有給休暇は業務に支障がでなければ普通に取れます。取りやすい環境です。

ワークライフバランスの推進という世間の風潮もあり、より取りやすくなっていくでしょう。

弊校では、年間20日付与されます。平均取得率は50%は超えています。

大型連休と組み合わせて10連休!とかも普通にできます。

 

福利厚生は?

福利厚生は充実してます。

弊校基準では、家賃手当は上限はありますが半額は出ますし、通勤手当もでます。

国立大学であれば文部科学省共済組合というものに加入しますが、やはり公務員系の共済ということで充実しています。旅行や保険、スポーツジムの利用等、さまざまな割引を受けることができます。

文部科学省共済組合

 

また、学内施設が無料で使えるのも良い福利厚生です。下の記事でも書いてます。

 

kkenty.hatenablog.com

 

そして、育休・産休が取りやすく、時短制度もあるので、女性が働きやすい仕事と言えます。もちろん男性も育休は取れます。育休取得する男性職員はまだまだ少ないですが、男性の育児参加が叫ばれる中、増加傾向になっていくことでしょう。

基本的には年功序列なので、出世にもあまり響きませんしね。

 

雰囲気は?

基本的にはまったりとした雰囲気です。

かたっくるしいことも無く、少数派ですが男性でネクタイしてない人とか、革靴履いてない人とか、茶髪の人もいます。

私は服装はとにかく楽したい人間なので、この風潮はありがたいです。

中には注意してくる人もいますが、同じ服装規定である教員はてきとーな服装の人ばかりです。それが許されて職員が許されないという、合理的かつ説得力のある説明ができない人にしか注意されたことはありません。そんな人に何を言われても気になりません、そんな事でクビにはならないですしね。

 

終わりに

部署や上司によって幅こそありますが、総じてホワイトな職場と言えるでしょう。

国立大学職員については薄給な分ホワイトといった印象ですが、有名私立大学では似たような職場環境で高給取りなので羨ましいです。超人気職となっているのが頷けますね。

大学職員は無能なのか?

こんにちは、けんてぃーです。

 

巷では大学職員、学務が無能だ、くそだとの声が多いです。

ツイッターで検索すると学生からの不満ツイートがでるわでるわ、、

もちろん一部の学生の声でありますが、体感では学生だけではなく、教員からもそのように思われている節もあります。

実際はどうでしょうか。考察していきます。

 

今日のお題目

 

身勝手な要望が通らず駄々をこねているだけ

一番はこれですかね。

窓口で対応していると、自分勝手で、自分の責任も省みずに要望をしてくる学生は非常に多いです。分かりやすい例で言うと、

 

提出物の締め切り後に、「そこをなんとか受理してくださいよー」

 

とかですかね。こうこうこういう理由で受理できませんと言ったら、返事もせずに帰って行くこともあります。大学生に甘すぎる日本の大学教育にも問題があるかもしれませんね。。

また、教員についてもご想像どおり自分の専門分野以外のことはてんでダメで、社会性に問題があるのではと思われる人が多いです。

そういった人達に論理的になぜダメなのかを論じても、自分が悪いと冷静に判断できない人は多いです。

感情に任せて怒ってきたり、ツイートして不満をぶちまけているのです。

 

人材教育が不十分

以降は、本当に無能という場合です。

 

私立はどうかわかりませんが、国立大学では人材教育のシステムがないと言っても過言ではありません。業務の統一ルールやマニュアルなども無いことが多いです。窓口対応での統一したマニュアルやルールも当然ありません。

私自身の経験でも、新人で学生系に入りましたが、上司や先輩の真似をしていく中で仕事を覚えるしかありませんでした。しかも、そういった手本にすべき人たちですら、人によって言う事が全然違ったりします。

 

そして、マニュアル化が徹底されておらず、上司や先輩各人がてきとーな事を言うので事務仕事が思うように進まず、ストレスや時間に追われる焦りで結果として学生への窓口業務の対応が雑になってしまう可能性も否定できません。

当然、学生が窓口で質問・相談しても、職員によって言う事が違うじゃないか!ということにもなるのです。

 

無能が得をしてしまう

以前の記事(国立大学職員という仕事のメリット・デメリット - けんてぃー大学)でも書きましたが、国立大学職員は公務員的要素が強く、無能が得をしてしまう組織です。成果・評価を得るための努力が、それによって得る利益に見合わないのです。頑張ったところで、ただ管理者側にとってコスパのいいやつになるだけです。

そういった中では、自分が仕事をあまり頑張らないことが、さらに言うと、無能のフリをしていたほうが、自分にとっての利益になります。

有能な人も無能になってしまう環境なのです。

 

人事的問題

最後に、人事的な問題があります。

 

大学事務組織において、いわゆる有能が多い部局と言われるのは、総務系と財務系です。

これは、大学経営に直結する部局になるからです。総務系は学長などの役員との距離が近い大学運営における事務組織の中枢と言えますし、財務系は運営するうえで非常に重要な、お金・予算を握っています。そういった部局は発言力と影響力があるので、人事でも有能な職員を引っ張ってきて、部局内で囲いたがる傾向があります。

そうなると必然、有能でない人材が学務系に回る確率が高くなります。

「学務は使えない奴が多い」とは、事務職員内でも耳にすることがあります。

 

 

おわりに

以上、学生・教員が悪いだけということもありますが、大学職員は無能、くそだと言われることはそう間違ってはいないだろうと思います(私立はわかりませんが)。

公務員的組織としての悪影響も問題ありますが、それでも最低限の対応は職員間で共有・徹底し、個人の色を打ち出すのはプラスアルファとなる部分、という当たり前のことができていないことがその原因と言えるでしょう。